-今に、子供たちは日中戦争が本当の戦争だったってことを知らない時代がくるよ。-
俺らにとっても古い
なに、昭和の日だって? なんじゃそりゃと思ったが元々昭和天皇の天皇誕生日か。
昭和。昭和!ああ、思い出のかなたにある昭和よ。 いい思い出があるかは別としても!
昭和という言葉は今や古いものを表す侮蔑語であることは知っている。今や間に30年にも渡る平成の世を挟んだ以上、昭和とは少なくとも30年以上前というショートカットワードで、昭和にはまだ生まれていなかった人は数多い。昭和なら侮蔑しても大丈夫という気持ちも解るよ。
だが、昭和53年生まれの僕は大正、明治時代を侮蔑的に捉えたことはない。遠くにあり過ぎたからだ。昭和は平成の倍以上続いたのである。親子そろって平成生まれの場合、親は平成の早いうちに生まれないと(令和になってしまうので)難しい。だが昭和においては親が昭和の残り1/3くらいまでに生まれていれば昭和生まれの親子になることは珍しくなかった。
それほど遅くはないが僕の両親も昭和の生まれである。
俺の昭和、じゃないほうの昭和
だが、親と子が過ごしてきたのはまるで別の時代だ。小さい頃には(まだ戦後日が浅かったせいで)甘いものが食べられなかったといっていつも砂糖山盛りにするなんて人も現実にいたし、「健康に良い」として五穀米を出したら「せっかく白米が食べられる時代になったのに何故いまさら」と落胆する。全て目の前で亡き父上がやってきたことだ。すごく滑稽に見えたぞ。 このように、俺が過ごしてきた昭和と父上様が過ごしてきた昭和はあまりにも別の昭和だった。
そのうえ親子とも、父上の方でさえ世界史上で昭和最大のイベント太平洋戦争は経験していない。父上は敗戦の影響が色濃く残る時代に生まれたとは聞いているが、それでも直接その時期にはいなかった。ざっくり昭和の1/3が終わってから生まれたのだ。
それゆえ、僕は昭和生まれのおっさんとして侮蔑されるより、好奇心旺盛な子にもっと昭和の話を聞かせてと言われた方が困惑する。平成について聞いてくれた方がまだ楽だ。最初から最後まで生きているんだから。
昭和、平成、令和、3つの時代を生きて
そして砂糖と白米に不自由しないほうの昭和に僕が生まれた。何より違ったのは技術。一般大衆が日常触れるハードウェアやサービスだろう。そもそもインターネットが存在しなかった。 ポケットベルとかPHSとか通話料メチャ高い携帯電話とか、若者たち腹を抱えて指さして笑うテクノロジーすら生まれた頃にはまだなかった。そうなのだけど、何もない時代に生まれておきながら今にも触れている。というか場合によってはそれ俺が作ってる。1 なかった日々とある今日を両方生きたことは貴重な経験の気がするので、何かに活かせないかと思うのだけども。2
誰も時間から逃れることはできない
いま現在、このブログに令和生まれの読者がいるとは考えにくい。若くとも平成生まれであろう。まだ平成が終わったばかりだと安心してはいけない、次の境界線は20世紀だ、「20世紀のテクノロジー」、「前世紀生まれのおじさんの発想」という言葉が無情にも浴びせらることだろう。昭和を包含しつつ平成前期も効率的に落とせるので逃れらないワードである。3
そのようにして時は流れ、子ども達は日中戦争のことを「日中(昼間)におけるビジネスor商業上の競争」か何かだと思うようになっていく。4
予言でもなんでもない。ただの予定の話なんだ。
あと、日の丸偽造してごめんなさい。日の丸って丸の大きさの比率とか決まってたはずだよね。